有頂天晴果のこと

当店のテーマについて
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2015年4月4日土曜日

出店情報

あたたかくなりました!
冬野菜は終了し、筍が出始めました。
これからトマトは美味しくなっていきます。

美味しいもの、珍しいもの、面白いもの、
色々探して参りますので、是非お立ち寄り下さいませ。


店舗情報および直近のイベント出店情報を、
以下のページに掲載しています。

https://www.facebook.com/uchotenseikakyoto

2015年2月5日木曜日

二条駅前出店 延長のお知らせ

有頂天晴果・二条駅前臨時店舗、延長のお知らせ。

2月9日以降の水曜以外の平日(月・火・木・金曜日)、引き続き出店します。
しばらくの間継続しますので、よろしければお立ち寄り下さい。

なお、水曜日は仕入れのため、店休日となります。
よろしくお願い致します。


有頂天晴果代表 西川


2015年2月4日水曜日

臨時店舗


1月下旬から2月3日までの平日限定で、野外店舗を出していました。
おかげさまでご好評いただきましたので、延長、もしくは、近隣地域での再出店を考えています。

決まりましたら、またこちらのブログでご報告させていただきます。

店舗が決まるまでの平日は、右京区・中京区・下京区近辺でリアカーでの振り売り(焼きいも屋さんのような巡回販売)を行っています。

2015年1月23日金曜日

八百屋を始めた理由 その8「青果専門店」


ルー旅行から帰ってきて、京都の青果専門店…
大きな八百屋さんで働き始めました。

契約農家から直接仕入れる京野菜と、京都市中央市場を初めとする、
近隣の卸売市場から仕入れる野菜・フルーツを取りそろえた、
大型商業施設の中にある、品揃えの豊富な店舗でした。

パッケージングや季節行事に合わせた仕入れや陳列など、
専門店ならではの様々なノウハウや、
素人同然だった果物についてなど、ここで多くのことを学びました。

2015年1月9日金曜日

八百屋を始めた理由 その7「南米旅行」


売所の仕事が終わってしまい、さてこれからどうしようか考えました。
今後は、腰を据えて野菜販売に関わる道に進みたいと思います。
ですが、いまひとつ具体的なビジョンが見えてこない。

直売所だけでなく、一般的な八百屋の業務も経験しておきたい。
また、当時すでに話題になっていた野菜ソムリエの様な、
「販売」より「紹介」に比重を置いた活動にも興味がある……
どんな野菜屋になりたいのか。

あれこれ考えを巡らしていた中で、ある日突然、

そうだ、南米行こう

と思い立ちました。
目的地は、ペルーです。

世界遺産である憧れの空中都市マチュピチュ!
幼い頃から浪漫を感じたナスカの地上絵!

……も勿論ありますが、それだけではありません。
自分をそのとき強く後押ししたのは、そこが、
トマトやじゃがいもを始めとする、たくさんの野菜にとってのふるさとだということ。


えば、マチュピチュの特徴的なあの階段状の遺構。
あれは、とうもろこしじゃがいもなどを作るための段々畑なんです。
切り立った峰で、効率よくいくつもの野菜を栽培するため、
日当たりを考慮して作られた、インカ時代の農業技術の賜物。

今風に言うと、シティファームですね。
東京都心のビルの屋上に畑が出来たりする時代ですが、
マチュピチュでは都市の側面(斜面)に畑を作っていたわけです。

アンデスには、インカ道と呼ばれる街道(とは言っても人一人通れる程度の道)が、
縦横無尽に走っていて、海の幸も新鮮なまま、山上まで届けられたといいます。
ですから、マチュピチュは完全な自給自足の街では無かったでしょうが、
それでも主食の多くを、この都市農場でまかなっていたのでしょう。


マチュピチュの大規模な山間農業地。当時はこの斜面は畑でした。

日当たり良好な段々畑。


下を見ると数百メートル下の谷底がよく見える。高所恐怖症の人にはつらい立地。


雨の降らない山頂なのに何故か水が湧く。



有名なこのアングル。奥の山(ワイナピチュ)に注目


山頂あたりをよーく見ると…


ここにもびっしりと段々畑っ!


2015年1月3日土曜日

八百屋を始めた理由 その6「京野菜直売所(後編)」

節が変わり、期間限定店舗だった屋外直売所の閉店とともに、
観光地で有名な、嵯峨野・嵐山にほど近い、
右京区太秦の直売所へ移動となり、
そこで引き続き、店長をやらせていただくことになりました。

前店舗と違って、屋内…というか、駅の敷地内という好立地で、
風雨の心配が無い上、役所も近いため、人通りも申し分ない場所でした。

ここでは、農家さんと毎朝直接顔を合わし、
また、毎日の売り上げ、売れ行きなどをメールでやりとりする中で、
皆さんの野菜作りに関するお話を聞ける機会が増えました。



の直売所で扱う野菜は、京都市が認めた旬野菜基準に則った野菜」です。
旬の時期に旬のものを推奨するという当たり前のようでいて、
現代では失われつつあるテーマが、この事業には掲げられていました。。

夏は、冬野菜である大根やほうれん草ではなく、
夏野菜のきゅうりやなすを中心に食べよう。
冬はその逆に。いつも、季節にあった食材を選ぼう。
味も、栄養価も、旬の物は格段に優れているのだから。

分かりやすく言うと、上記のような理念です。
もちろん、旬以外の物は絶対に食べてはいけないというわけではありませんが、
旬の物を選んで食べるという行為には、合理的な裏付けがあるのです。



えばこんな話はご存じでしょうか。
今のほうれん草の栄養価は、
数十年前の半分以下になってしまった。
その真相は……

2015年1月2日金曜日

八百屋を始めた理由 その5「京野菜直売所(前編)」

本一周から帰って地元で就職し、安定した生活を手に入れましたが、
リーマンショックの影響で、職場で大規模な人員の削減があり、
わずか三年ほどで、退職することになってしまいました。

転機はその後、訪れます。
ハローワークにて、京都市が立ち上げた、
「京の旬野菜」の直売プロジェクトの販売スタッフを募集していたのです。

市に「京の旬野菜農家」として認定された契約農家が、
様々な得意野菜や新品種を持ち寄って出荷する、街ナカ、駅ナカの直売所。
そこで販売を担当する仕事でした。

この時点では、野菜販売に関する知識や経験があったわけではなく、
面接のときには、高原レタスの栽培経験や、日本一周中に各地の野菜を食べ、
地域ごとの食材の違いに興味を持った経験などを話しました。
結果、めでたく採用となり、私にとってのはじめての野菜販売がスタートしたのです。



日に、劇的な巡り会いがありました。
それは、「山科なす」との出会いです。
研修として配属された山科にある直売所で、売れ残っていた山科なすを買い、
洗って、切って、フライパンで焼いて、塩胡椒を振るだけの調理をしたところ、
これがびっくりするくらい美味しかったんです。


卵の様な形の山科なす



2014年12月23日火曜日

八百屋を始めた理由 その4「自然ガイド」

回の記事で書いたように、
日本一周の途中、旅の資金を稼ぐため、
行く先々で様々な短期間アルバイトをさせてもらいました。

北海道標津町で、サケバイと呼ばれる鮭の加工の仕事。
佐賀県神崎で、自動車の部品工場での仕事。
沖縄県石垣島で、さとうきびの収穫作業。
沖縄県西表島で、自然ツアーのガイド。
沖縄県那覇市で、那覇港内作業や荷物の配送等。
福岡県博多市で、食品工場でラーメン製造業。

それぞれに面白いエピソードが色々とあるのですが、
現在の開業、そして理想とする青果店に直接繋がるお仕事として、
西表島のツアーガイドは特に、大きなきっかけになりましたので、
今回はその話を書きます。






時、季節は、夏まっさかり。
道中出会った多くの旅仲間から、「せっかく日本一周するなら、最端まで行くべき」
とのせられて、フェリーを乗り継ぎ、沖縄本当からさらに南西、
日本の最西端であり最南端、八重山(やえやま)群島を訪れていました。

2014年12月20日土曜日

八百屋を始めた理由 その3「日本一周」

都で青果店を始めたので、もちろん京野菜には特別な思いはあります。
けれど、同じくらい、日本中の様々な農産物にも思い入れがあるのです。

八百屋さんには全国の産地から品物が集まっています。
季節毎に産地がリレーし、色んな土地の特産品が顔を並べています。
それはまるで、店舗の中にいるだけで日本をぐるぐる何周もしてる様


20代の半ば、それまで勤めていた会社を辞めた際、
ふと思い立って、自転車日本一周をしました。
別に大がかりなきっかけとか心境の変化があったわけではなく、
ちょっと長めの旅行気分で、割と気軽に出発しました。
で、どうなったか。


八百屋を始めた理由 その2「高原野菜」

0代中盤くらいまで、野菜に対して、特別な興味はありませんでした。
ほうれん草と小松菜の区別すらついていなかったレベルです。
嫌いなものはありませんでしたが、特に好きでもなく。
幼少期から十年以上暮らした地元で、淀大根という特産品を作っていましたが、
へー、こんなところで大根作ってるんだ程度の感想しか持っていませんでした。


そんな自分ですが、野菜との関わりのルーツをたどると、かつて、
10代の終わりに3ヶ月ほど、長野県の高原レタスの収穫バイトをしていました。
毎朝2時、3時から正午まで延々とレタスを収穫・出荷。
お昼から夕方までは他の野菜の収穫や苗植え、畑準備など。